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構造主義生物学からサケ遡上の制御まで

柴谷 篤弘

  関西医大教養部で仕事を始めた1985年は、私の生物学にとっての転機の時期であった。それまでの、分子生物学、細胞生物学、発生生物学の中で、「生命」の科学的理解を求めて遍歴をしてきて、活動の終わりの頃になってようやく、「生物学における構造主義」に方針を確定したときは、残りの時間はいくらもなさそうだった。1986年末大阪で世界最初の構造主義生物学国際ワークショップを開いて成功させ、「動的構造研究のための」国際的な少数者の科学運動として「大阪グループ」を発足させた。1987年にプラハでソ連邦の科学者と大阪グループに結集した西側の科学者が出会い、この問題についての協力を計画したとき、ソ連邦沿海州の生物学・土壌学研究所の科学者から、日本とロシヤの間で生物進化についての二国間共同研究を提案された。日本の生物の理解のためアジア大陸東部の生物の理解が遅れていることから、私はこの提案を受けいれることに決めた。1988年と1990年の2回にわたり、ロシヤのVladivostok周辺の自然を見る機会を得、やがて、今世紀はじめこの地方を探検したArseniyevの旅行記で、産卵のために日本海から大陸の川に大群で遡上するサケが、陸地の動物に食われて海にもどされないことを知り、地球上における動物の長距離移動による海洋と陸地・深海から高山まで、また熱帯から寒帯にわたる物質循環が、生物によって促進されている可能性を理解した。これが生物多様性にもとづく自然保護の地球全体像の展望を与え、同時に構造主義的な生物進化の理解につながる、と感じた。しかしその定量的な解析を始めてすぐ、京都精華大学の学長に選ばれて、それ以後の個人的な研究は頓挫した。同じころからアメリカ合州国やカナダの太平洋沿岸におけるサケの研究者たちが、この問題の実証的解析を進め、現在サケを介して日本との国際的な研究に発展してきた。このような視野は、日本のサケ専門家とは共有されていない。(元教授・生物学)

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