私が大学で医学を学んだ昭和20年当時の教科書の多くは、外国書を翻訳したものであった。そういった教科書の中で加藤元一先生の「生理学書」はレベル的には高くはないが、自分で書かれた本だと聞き、外国の受け売りではなく独創性ということに心を引かれるようになった。
学会に出席するようになってから気付いたことは、一つのテーマに多くの人たちが集中すると言うことであった。たとえばかつて筋電図の研究で東大の時実利彦先生がタウ・バー・エス曲線を提唱されたことがあったが、当時筋電図を研究していた人たちの多くが、それに関連した研究を行っていた。それぞれの研究に独自性のないことが日本における研究者の最大の欠点ではないかと思う。
研究室に入ってからはより強く独自の研究方法を開発したいと考えるようになった。戦後間もない研究室は医学の研究機械を製作するところから始まった。現在の研究者には考えられない苦心があったが、特に低周波を研究の対象とした場合、その測定機械は研究目的のために独自に考え製作して実験を行わなければならなかった。私たちもブラウン管オッシロスコープを自分たちで製作し、新しい研究方法で実験を行った。この結果、中枢神経系に作用する薬物の作用機序に関する研究はすべてに新しい知見を得ることができた。たとえばモルヒネは大脳皮質の痛覚中枢に作用するとされていたのを脊髄のレベルで求心路を遮断するということを明らかにした。その後の研究もすべて自分で見いだしたか、あるいはその機能的意義を解明した現象を対象として研究を行い、独自性を通したつもりである。
関西医大も70周年を迎えようとしており、本学出身の教授も数を増し、いまや研究施設も充実してきている。海外で学び世界と交流することも必要であろうが、関西医大発進の研究を世界に広めることを願ってやまない次第である。(名誉教授・生理学第二)
| INDEX | BACK | NEXT |