私事に渉り恐縮でありますが、小生は関西医科大学の創立40周年記念行事が行われた昭和43年の3月に卒業いたしました。当時丁度最高学年の6回生の時に突如厚生省はインターン制度を廃止し、登録医制度を発足をさせようとしました。これに対し、全国の医学生は反対運動を展開し、全国一斉に医学生の受講放棄のストライキによる抗議行動を取りました。全学集会、クラス討議、病院長、学長、教授をはじめとした教員との度重なる会談などが行われ、騒然たるわが国の医科系大学、学部の状態は関西医科大学においても全く同様でありました。しかし、当時の教授の先生方は長い年月の経過を勘案したといたしましても厳しいなかにも暖かく、指導していただいたと感じているのは小生だけではないと考えます。
クラスアドバイザーの教授の方々(山本正勝教授、森井外吉教授)は度重なるクラス討議、夜のコンパ等当時気鋭の先生方、とりわけ研究に、あるいは臨床にご多忙であったはずのところを恐らく万難を排して、参加していただき、その中での諸事にわたるアドバイスをいただいたと思います。
このクラスアドバイザーによる学生指導は学生の自主性を重んじたご指導でありました。しかしながら先輩でもある大原一枝皮膚科学教授は学生には厳しい教育態度で望まれ、特に女子学生には殊の外と感じた次第でした。単なる知識の伝授に留まらない講義やポリクリは小事にとらわれないが如くの教育理念がその根幹にあったようにも思います。中枢神経の解剖学は京大総長の平澤 興先生に実に半年にわたってご講義いただきました。それは正に我々クラス全員が終生忘れられない感動の日々でした。外科総論は手術は祈りであると語られたやはり京大名誉教授の青柳至誠先生から受けました。そしてもちろん関西医科大学の教授の先生方の十分に準備された臨床講義、最先端の知見の入った講義、など現在に引き継がれていると思っています。
当時の思い出もさることながら、やはり母校の動向は卒業以来気になります。恩師のご退任のみならず、学会はじめ研究・診療での発展はまさに卒業と同時に母校を離れた身にも大変な関心事であります。
再び私事に渉りますが、現在の愛知医科大学に奉職して20余年が経ちましたが、一人母校で受けた教育を想い返しつつ、学生に接し、また大学当局への提言を行っているところです。人が集まるところ仲間ができます。その仲間は切磋琢磨の同胞であるべきです。今尚母校から多くのことを学ばせていただいている我が母校の著しい発展に寄与された皆様に深甚なる感謝を込めて更なる飛躍をお祈り申し上げて拙文を閉じたいと思います。(36回生)
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