このたび創立70周年を迎えられるに当たり、かつて関西医大で教育・研究に参画させていただいたものとして心からお祝い申し上げます。また関西医大の先生方のご活躍を見るにつけ、遠くから敬服いたしております。関西医大への提言を書くようにとの依頼をお引き受けしたものの、歴史と伝統のある関西医大への提言など畏れ多いことに思え、ただ思いつくままに駄文で紙面を埋めることになりそうである。何卒ご容赦いただきたい。
私が関西医大教養部化学担当に就任したのは昭和も終りに近い63年4月で、平成4年9月に熊本に転任になるまでの4年半を牧野キャンパスで過ごした。牧野キャンパスは、滝井キャンパスの喧騒からは隔絶されたのどかな雰囲気が漂う別世界のようであった。私はこの雰囲気が気に入っていたし、学生諸君(1、2年次)も、それに身を任せ、のんびりと受験生活の疲れを癒しているかのようであった。
しかし、就任後しばらくして大学設置基準の大綱化の見直しに伴い、教養課程と専門課程との区分の検討が各大学に求められることになった。牧野の教養部もこの波にゆさぶられ、教養教育を含む大学教育が避けて通ることのできない大学全体の問題となった。私は教養教育カリキュラムの改編の取り組みには関与したが、その結果を見ることなく関西医大を去ったので、結果や効果について発言する立場にはない。望むらくは、牧野キャンパスの雰囲気に合ったゆとりのある教養教育であってほしいと願うばかりである。
一般に、医学に限らず応用科学の範疇に入る分野では、基本となる知識・技術がますます多様化・先鋭化する中でそれを包括する学問領域は広がる一方である。そのために、学生諸君に対する教育内容はどうしても広く深く(?)なり、カリキュラムは過密化する傾向にある。教師も、学生も悲鳴をあげながら、不足する時間に罪をかぶせて苦闘するという図式が定着する。いきおい、学生諸君には鵜呑み、丸覚えを助長するというジレンマに陥る。この現状は、理想の教育からは程遠い。そろそろ、すべてを教える時代は終わりにしなければならない。
というようなことを日頃考えつつ、我ながら進歩がないことを嘆き、教育とは魔物であるとはよく言ったものだとも思う。私の在籍時にお世話になった関西医大の諸先生からは、私が牧野で過ごした4年半はなんだったのだとお叱りを受けそうである。(元教授・化学)
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