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関西医科大学第7回市民公開講座
「病なくして真の健康はない」
中井 吉英(関西医科大学附属病院心療内科学講座教授)
平成17年(2005年)2月5日(土)
関西医科大学附属病院南館臨床講堂
司 会(中谷 壽男・関西医科大学救急医学科教授)

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 司 会(中谷 壽男・関西医科大学救急医学科教授)

 きょうの最初の講演は「病なくして真の健康はない」と題して心療内科の中井教授にお願いします。心療内科学講座はどこの大学にでもあるという講座ではありません。本大学の特色の一つです。お話しいただく中井先生を簡単にご紹介いたします。中井先生は昭和44年に本学を卒業され、その後九州大学、新日鉄八幡病院等に勤務され、九州大学の講師を経て関西医科大学の内科の講師として戻ってこられました。その後助教授、内科教授、心療内科学講座が独立してから心療内科学講座教授を務められ、現在では再生医学難病治療センター教授と癌治療センター教授をも併任されています。それでは中井先生、よろしくお願いいたします。

中 井(関西医科大学附属病院心療内科学講座教授)

 きょうは逆説的な「病なくして真の健康はない」というタイトルで話をいたします。我こそは健康だと思っている方は挙手をお願いします。……そういう方は非常に危険かもしれません、気をついてください。病気には我々を救ってくれる部分がたくさんあります。例えば電気器具にはサーモスタットやヒューズがついています。病気になるのはこのサーモスタットやヒューズが正しく反応しているからだと考えれば、我こそは健康だという人にはこのサーモスタットやヒューズがない器械かもしれません。病気というのは決して悪ではないという話をしたいと思います。

  この詩はアメリカのリウマチセンターの壁に掛かっているリウマチ患者さんが作ったものです。私はリウマチ学会や整形外科学会から講演依頼されると最後にこの詩をよく出します。

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病者の祈り
  大事をなそうとして
  力を与えてほしいと神に求めたのに
  慎み深く従順であるようにと
  弱さを授かった

  より偉大なことができるように
  健康を求めたのに
  より良きことができるようにと
  病弱を与えられた

  幸せになろうとして
  富を求めたのに
  賢明であるようにと
  貧困を授かった

  世の人々の賞賛を得ようとして
  権力を求めたのに
  神の前にひざまずくようにと
  弱さを授かった

  人生を享楽しようと
  あらゆるものを求めたのに
  あらゆることを喜べるようにと
  生命を授かった。

  求めたことは一つとして与えられなかったが
  願いはすべて聞きとどけられた
  神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
  心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
  私はあらゆる人の中で
  もっとも豊かに祝福されたのだ

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  仏教の言葉に「順観と逆観」があります。この詩は病を逆観しているようです。私は患者さんの治療をするときにタイミングを見計らって「病気になってよかったことはどんなことですか」というメッセージを伝えています。そのタイミングが難しくて、例えば片頭痛の方と初診でお会いしたときに、「頭痛になってよかったですね」とは決して言えません。癌の患者さんの治療をしていてもそのメッセージを直接ではなく間接に伝えていくようにしています。そうすると、機が熟したときに患者さんは逆観されます、これがあるからこうなるのかと。

  きょう嫌なことやつまらないことや失敗したことはありますか。……どうやら幸せな方が多いようです。例えば車に傷をつけられると腹が立ちます。その場合、どうやっておさめていきますか。……「これぐらいで済んでよかったと」。それはすぐですか。……「その場では動揺すると思います」。

  僕も傷をつけられると最初は腹が立ちます、特に新車では。そのときに1日腹が立つのを置いておきます。当然車を修理に出します。もし修理にかかる5日間車に乗っていたら大きな事故を起こしているかもしれない、このくらいの傷でよかったと。昔から大難を小難でといいます。そうすると気持ちがだんだんおさまって受け入れられるようになります。病気にはそういう面があります。病気になってよかった面をきょうは過敏性腸症候群のAさんを例にとって考えてみたいと思います。

  「過敏性腸症候群」という病気を聞いたことがありますか。……大半の方はご存じですね。例えば胃の具合が悪い、吐き気がする、胸やけがする、もたれるという症状がある方に胃カメラをする、レントゲンを撮る、超音波、CTスキャン検査をする、それでも異常のない人が実は7割ほどいます。これを昔は神経性胃炎、慢性胃炎、精神的なものなどいろいろに呼んでいました。癌がある、炎症がある、潰瘍があるといったような器質的なレベルの病気は現在のいろいろな検査でわかります。でも機能的な病気はどうか。僕は消化器を専門にやっていたのですが、今では世界的に消化管運動機能異常と言われています。機能的な病気は機能異常を見つける検査でないとなかなかわからない。消化管の機能異常はおそらく30くらいに分かれます。狭心症と同じような胸痛を訴える患者さんの5〜6割は心電図でも血管造影でも異常のない人が多い。それを「非心臓性疼痛」と言いますが、その中で多いのが食道の機能異常です。びまん性食道けいれんやナットクラッカー(クルミ割り)食道などいろいろな病気があります。また食道の下1/3は心臓の血管と同じ平滑筋でできているので、胸痛もニトロール舌下錠でとれることから昔は心臓神経症とよく言われていました。今では医学的にわかるようになっています。

  その中で下部消化管である小腸や大腸の乱れによって起こってくる代表的な病気が過敏性腸症候群です。下痢型、便秘型、下痢と便秘を繰り返す交替型があります。

  アメリカの疫学的な調査では過敏性腸症候群様の症状を持っているのは一般住民の2万人以上と非常に多いことがわかりました。そのうち病院を受診されるのは2割です。消化器の中でも最もポピュラーな病気ですが、なかなか治療が難しい。いろいろな消化管運動機能改善剤もありますが、なかなか効かない。胃や腸は脳と非常に深い関係があるからだと考えられています。

  過敏性腸症候群はほんとうに多い病気でしかも病気にいったんなってしまうと、例えば京都−大阪間を通勤されているサラリーマンの方は途中で腹痛とともに激しい便意が起こるので、よく普通で通っています。また便秘型は若い女性で、特に片頭痛を持っている方に多い。血管と腸は同じ平滑筋でできていますから。ちなみに血管、食道の下 1/3、胃、小腸、大腸、胆嚢、気管、子宮、卵管、膀胱などの組織は平滑筋でできています。片頭痛のある方は平滑筋が非常に過敏なので、月経困難症や月経前緊張症を伴うことも非常に多い。過敏性腸症候群という病気は大腸ファイバースコープやレントゲンでは異常が見つかりません。問診と診察と大腸の内圧を調べながら診るとよくわかります。

  過敏性腸症候群のAさんは30代後半の方で、中学1年のときから症状があります。1日3〜4回腹痛を伴う下痢があり、午前中に症状が強い。ほぼ20年この症状で悩んでいました。疾患としては癌でもなく炎症でもない、しかし病気としては非常に重症です。このような慢性の病気を持つと、仕事にも考え方にもいろいろなことに影響が及んできます。

  ちなみに過敏腸症候群の方で太っている方はまずいません、ほっそりした人が多い。たばこは平滑筋を刺激して症状を増悪させます。お酒もだめです。油っこいもの、冷たいものもだめです。ちょっと悪い食べ物を食べると人より激しく下痢をしてしまいます。ですから菌が早く出てしまいます。Aさんは消化器内科を初めいろいろな科に行きました。精神科も行っています。あらゆる民間療法を試してもよくならない。しかしこの方にお会いすると非常に明るくて元気です。こんな病気で悩んでいるとは思えない。

  そこでどういう治療をするか。過敏性腸症候群はいろいろな原因が関係しあって起こっています。

( slide No. 1 )

 過敏性腸症候群に限らず糖尿病や高血圧の方にも患者さんがご自身のかかりつけの主治医であるという視点を必ず持ってもらいます。僕たち医師は主治医ではない、サポーターです。患者さんが自分で自分の体をケアし治療する主治医であるという考えを持つためには、自分自身の心、体、生活、考え方、感情の動きをキャッチしてもらわないとだめですね。

  そこでわかりやすいところから入ります。自分の症状をチェック(自己観察)し自己評価をしてもらいます。そのために必ずセルフ・モニタリングといって、自分の病気の経過表をつけます。7〜13時まで、便が固いか普通か軟便か下痢か。腹痛があったかどうか。その回数も書きます。例えば晴れた日は症状がよかった、雨の日は悪くなったなど、思考、感情、行動、その結果の欄があります。これを書いて1カ月に1回お会います。

( slide No. 2 )

 過敏性腸症候群の病態はわかっていません。潰瘍の痛みもわかっていません。僕は15,000人以上の方の内視鏡検査をしてきましたが、潰瘍があると生検をするために潰瘍の周囲や潰瘍の底から細胞を採ります。このときに痛いと感じる人は一人もいません。でも胃は痛い。だから潰瘍の痛みはいったい何かまだわかっていません。

  いろいろな原因、例えば社会的な要因、ストレス、ストレス対処行動、消化管の動き、生理学的な消化管の過敏性、症状があることによるQOL(生活の質)の問題等が絡み合っています。消化管運動改善剤は消化管の動きだけに焦点を当てた薬で、その他の問題はこれでは片づきません。疾患を持った患者さんに焦点を当てて可能なとことろから治療をしていますが、全体を考えながら治療をしなければならない。糖尿病でも高血圧でも癌でも全部そうです。一つの要因で起こっているわけではない。感染症でさえ、ある種のウィルスやある種の細菌という一つの原因を考えますが、最近ではそうではなくっています。

  実際にアメリカであった研究が論文で報告されています。現在ストレスがないAグループの人とストレスがずっと続いているBのグループの人に風邪ウィルスを吸入してもらいます。この研究手法には驚きましたが。ストレスのないAグループは試験の前後とも免疫(抵抗力)が高く、全員が発病しない。ところがストレスがずっと続いているBグループは前後とも免疫の働きが弱っていて、ほぼ9〜10割の人が風邪に罹患してしまいます。感染症さえも一つの条件ではないですね。

  多要因で病気になる、それをアインシュタインは見事に表しています。「あらゆる意味で、あらゆる物体は分割できないひとつの全体を構成している」。例えば病気が一つの分子、原因を個々の原子とすると、どの原子をとっても分子はできない。病気もそういう考え方に少しずつ移行しています。心療内科ではこのような関係性を見ていきます。

( slide No. 3 )

 例えば胃の運動の乱れは内視鏡や胃のレントゲンを撮ってもわかりません。胃電図を撮って胃の動きを見ます。

( slide No. 4 )

 これは胃の運動を観察しているレントゲン像で、ビデオに撮って見ると、胃は1分間に3回ゆっくりと規則正しい運動をしています。そこで右手を氷水に漬けるというストレスを加えると、それだけでぴたっと止まってしまいます。これほど敏感に胃や腸は反応します。胃腸は昔から心の鏡と言われる所以です。

( slide No. 5 )

 我々の胃は健康なときには1分間に3回きれいな波を描きます。ところが胃がもたれる、重い、痛い、吐き気がする、このようなときにはゆっくりになったり速くなったり、非常に不規則な運動になることがわかっています。慢性胃炎と言われる方のほとんどはこの胃の運動機能異常 functional dyspraxia という病気です。これが長く続くと今度はほんとうに胃炎が起こってきます。

( slide No. 6 )

 催眠下にストレスをかけて胃電図をみると、吐き気が起こってきます。深い眠りに入っていても振幅の高い不規則な波型が現れてきて症状が出てきます。

( slide No. 7 )

 これを三次元で表します。健常者が食事をすると、きれいな振幅の規則的な正しい波型が現れますが、 functional dyspraxia の患者さんでは不規則で高電位の波型が出て症状を再現します。

( slide No. 8 )

 血圧の動き、脈拍数、脳波など体のいろいろな働きが視覚的聴覚的にきれいにわかってくると、それを逆手に今度はそれを見ながらコントロールすることが可能になってきます。それをバイオフィードバックと言います。アメリカでは高血圧、疼痛、喘息の患者さん、リハビリテーション中の患者さん、オリンピックの選手もこの手法を使っています。

  同様に胃の運動をうまく耳で聞いたり目で見えるように変換すると、情動がわかってきます。つまり自分の胃はこんなに乱れている、これをどのようにして規則的に変えることができるか考えます。いろいろ工夫しながらこういう感覚のときは胃の運動がきれいな波になっていくという内部知覚に対する気づきが起こります。その次の段階では、規則正しくゆったりとした胃の運動が起こっているときはこんな気分だ、毎日の生活の中でそうするにはどうしたらいいかということに気づきはじめます。反応の制御を学習するように、そこで学びが起こってきます。

  自転車で言えば前輪を体、後輪を心とします。内臓をコントロールをしているのが視床下部、それをコントロールしている上位中枢は大脳辺縁系という感情のコントロールセンターです。むしろ体から脳や心に働きかけます。

( slide No. 9 )

 ここにこのようなきれいな波型が出ています。

(スライド終わり)

 お手元の資料に脳と胃腸の相互関係を書いています。つい最近まで胃や腸は脳から迷走神経を介して 100%コントロールされていると考えられていました。ところが現在は胃も腸も半自動脳といって自分自身で半分コントロールしています。交感神経と副交感神経のうち、副交感神経は脳の命令を胃や腸や心臓などあらゆるところに伝える神経系と言われていましたが、そうではなく、90%は体の情報を脳に伝える知覚神経でできていることがわかってきました。そうすると胃がもたれる、腹痛がする、下痢をする、こういう症状の刺激は脳に行き影響を与えます。これは感情や行動にも影響を与えます。心と体は一如ですね、どちらも先ではない。道元禅師はそれに気づいて身心一如であると。身が先にきます、そして心がきますが、2つを分けることができないということを言われました。

  いま器質的病気と機能的病気があると申し上げました。これは消化管に限らず体全体に機能的病気があり、異常の状態でそれが器質的ないろいろな病気に移行する可能性が十分あります。

  Aさんの話に戻ります。「Aさん、今度来られるまでに一つだけ症状を強くする(あるいは軽くなる)原因を探してきてください」という宿題を出します。皆さんは朝ご飯を食べると腸が動いて、そして便意をもよおします。これを胃結腸反射と言いますが、過敏性腸症候群の方は食べると腸が非常に強く動き、そして腹痛が起こって下痢をします。Aさんはこの宿題に対して、たまたま朝食を抜いて職場に行くと症状がなかったことを見つけます。まず朝食を抜けば胃結腸反射があまり起こらないということを20年間気づいていない。

  次にAさんに「今度、いまのことをヒントにして1カ月のうち症状の全くない日を作ってきてください」という宿題を出して、また考えてもらいます。そうすると次の診察の日には非常に嬉しそうな顔をしてきます、「紅茶とカロリーメイトで朝食を摂ると症状が起こらないことに気づきました」。そうすると病気は自分自身で治せるという自己効力感 self-efficacyが起こってきます。今までは電車に乗ることを想像しただけで腸の蠕動運動が活発になっていましたが、そのような予期不安がなくなってきます。

  Aさんは5人兄弟で3人の子供さんがいます。ご両親とは別居されています。非常に責任感の強い真面目に仕事をされる頑張り屋さんです。もともと若い頃はご両親に「頑張ってるね、すばらしいね」と言ってもらいたいがために一生懸命生きてきましたが、ご両親と対立して家を飛び出して、自分自身の力で会社を設立されました。これにはお父さんに対するライバル意識もあり、ほめられたいという気持ちもあったと思います。

  ある時社員を集めて「私は過敏性腸症候群という病気だ」と明らかにします。実は社員はAさんがしょっちゅう席を外すのを不思議に思っていましたし、社員からも「実は私にもこんな症状があります」と言います。そうすると職場での緊張感がとれて、一日の中で一番長くいる職場での情動がゆったりと落ちついた気持ちに変化していきます。それはすぐ消化管に影響を与えます。だんだん深まっていきます。

  そこでAさんに再び宿題をお願いします、「Aさんにもいろいろな考え方があるでしょう。いつも共通した考え方とはどんな考え方でしょうか。次来るときまで日記をつけながらそれに気づいてください」。非常に完全癖が強く all or nothing 、とにかく残業があっても最後までやり遂げるために頑張ってきた人です。yes と no の間には無限の回答があり、ちょうど真ん中へんの回答が大事なときがありますが。Aさんが退社をするのは10時過ぎ、自宅に着くのが12時前です。実は子供さんと接する機会がほとんどなかった、奥さんとも子供について話をしたり将来や人生について話すという豊かな時間がなかった、夫婦関係もずっとなかったことがわかってきます。

  そこで次のお願いは「今度は6時に退社してください」。これにはものすごく勇気が要ったようです。でも立派にも1カ月間6時に退社されました。そのときの記録も職場のこと、家庭のこと、自分自身の体や内面について日記に書いてもらいました。そして一番にわかったことは、社長であるAさんが6時に帰ると他の方も帰ります。社員の方も元気になって、家族との触れ合いもふえます。6時に退社するようにしたことで営業成績が10年あまりの間でトップになり、生き生きとしかも合理的に要領よく仕事ができるようになるんですね。そういう変化に気づきます。

  下痢と腹痛という体の症状からだんだんといろいろなことに気づき変化してきます。

  この方は旅行社を経営したのですが、数年間は海外に行けなかった。家族全員で初めてハワイへいくという計画を立てた。この方は京都−大阪間を普通で通っていた人です。ようやくこの頃は急行で帰るようになったのですが、ハワイに行くと決めてからまた症状がものすごく強くなります。やっと体と心がこんなに関係しているのかとわかります。

  そこで僕はAさんをサポートするため、「もし症状が起こったときにはこれを飲んでください」と効くか効かないかわからないような頓服を渡しておきました。大事にお守りのようにして持っていきました。結局ハワイでは健康で症状が全くなく非常に自信をつけて帰国されます。そしてAさんがおっしゃったことは「僕は会社を辞めようと思います。僕は仕事そのものが人生の生き甲斐であり目的だと考えていましたが、それは間違いです。仕事は後からついてくるもの、もっと大切なものがあることに気づきました」。

  会社を友人に任せて、定年になったお父さんと一緒にお豆腐の製造をされるようになります。そのときにお父さんと初めて仲直りができたと生き生きしています。今では非常にはやっている店に成長しました。何回かお土産に持ってきていただきましたが、すばらしい味です。そう考えてみると病気を逆観することによって、やっとAさん自身は健康を得ることができた。

  WHOは spiritualという言葉を使っています。実存、生き甲斐、生き方、価値観のような意味の spiritualです。健康とは体の健康だけでなく、身体的にも精神的にも社会的にも3つがそれぞれ関係を持ちながらバランスをとること、それがWHOの最近の考え方です。Aさんは病気というものを介して初めてほんとうの意味の健康を得られるようになった。そのためには自分が主治医になるセルフ・ケア、自分で自分を治療する自己効力感、そのためにセルフ・モニタリングが大事になります。高血圧の方も糖尿病の方も生活習慣病であれば生活習慣の中に、他のいろいろな病気の方もご自身の行動や考え方の中にそれを治していくヒントがあります。行動や習慣は目に見えます。運動不足は万歩計をつけたり体重を測定するとすぐわかります。その目に見える部分はその方の本来の行動パターンを反映しています。その行動パターンは個々のパーソナリティや生き方そのものを反映しています。だから目に見えるものを変えていく作業は非常に深いことであり、それが非常に大事だと私は思います。

  この資料には「ゆらぎなくして健康はない」とあります。ゆらぎとは病気やストレスと考えてください。Aさんは小さいときから中年期、老年期に入って病気がどのような意味を持っていたか、彼のライフサイクルを通して考えるようになります。Aさんでなくても更年期、思春期、老年期などひとりの人間の一生を通じて病気の意味を考えます。しかし体の知恵があります。Aさんは学習し、成熟し、家族も会社の方もさらには社員の家族関係も含めて変化していきます。そしてもう一度、健康になるため再秩序化します。そのような全体の変化が起こってきます。体の中で血圧でも脈拍でも胃でも免疫系でも健康な人は刻々と非常に複雑に動いています。そのような高次の複雑性がさらに健康につながっていきます。

  心療内科は80校ある医学部・医科大学のうちいくつあると思いますか。実はわずか5校しかありません。心療内科は全人的な医療を扱う内科医なのですが、特に精神科と非常に誤解されています。心身医学がドイツからアメリカに渡って、アメリカから日本に来ました。アメリカでは心身医学(心療内科)は衰退してありません。ドイツと日本だけです。ドイツの医学部には心身医学科という形ですべてあります。日本の心療内科とよく似ています。というのはハイネマン大統領が、工業化し人間関係が困難なストレスの多い社会には一番大事な医学だと英断され、ドイツのすべての医学部・医科大学にあります。

  日本にはまだ5つしかありません。厚生省は平成8年に心療内科という科を標榜することを認可しましたが、心療内科を標榜している先生の90%は精神科の先生です。だから本来の心療内科とは違って誤解されています。うつ病などは精神科の範疇です。心療内科は身体疾患を体と心を分けずにみる内科医です。本来ならそれを各科で行ってもらいたいのですが。

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全人的医療の視点
医学的モデル   成長モデル
疾病指向医学   患者中心医学
病気=悪     病気≠悪
病因の追求    成長の場:病の意義
Cure     CureとCare
EBM      EBM+NBM
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  今まで我々が習ってきた医学的モデルは疾病思考です。そこで全人的医療をやるためには病気を、患者さんを中心にした過敏性腸症候群のAさんのように成長モデルとして見ます。疾病指向では病気は悪との戦い、医師は病気を治せないと敗北感を味わい、患者さんにもそれは不幸です。それから病因の追求です。しかし疾病構造が変わってきて、今では8割くらいは生活習慣病です。広くは腰痛もそうです。

  病気を悪と考えず、病の意義を見つめながら成長の場として考えます。cure(治療)とcareが一体になっています。EBM(evidence based medicine)とはある患者さんの治療を選択する際の医学的な根拠という意味ですが、1987年にアメリカで「西洋医療の8割は治るか治らないか全くエビデンス(証拠)がない」という有名な論文が出ました。アメリカのホワイトハウスの今のホームページには、代替補完医療を中心に進めていくと書いています。アメリカでは西洋医療に使われている医療費よりも漢方薬や鍼灸を含めた代替補完医療費のほうが多くなっています。年間数十億という研究費がいる。EBMはほんとうは成長モデルのため、患者さんのためのものです。もう一つ、NBM(narrative based medicine)。Aさんも病気の経過・治療の中で物語を作っています。これが全人的医療の主体です。

  それを内科学の領域で行います、ほんとうは各科で行ってほしいのですが。小児科領域では小児心身医学会、婦人科では女性心身医学会、麻酔科では慢性疼痛学会、癌の専門医の間ではサイコオンコロジー学会というのがあります。各科で全人的な心身医学的な bio-psycho-social medicine の学会が生まれています。医学医療の中で人間的な要因はものすごく関係しています。

( slide No. 10 )

  これは心療内科の方法です。体の中でいろいろな症状が関係しているので、問診や内科的な診察から心理面や社会面や行動面でどういう関係をもって病気が形成されているかを考えます。すべての臨床医が身につけておかなければならない心理療法的態度、支持、受容、保証、理解、共感、これらを習得するのは非常に難しい。医療面接の教育が各大学で行われていますが、ほんとうにファーストフード店の「いらっしゃいませ」というものではなくて、もっと深いものです。

( slide No. 11 )

 我々の医学医療モデルは biomedical model です。客観性、再現性、普遍性が必要です。そうすると個別性、社会、心理、人間性などあいまいなモデルを入れてしまうと客観性、再現性、普遍性が構築されません。切り捨てないといけない。そうすると科学的医学モデルのために人間の抽象化が起こります。そこに医療における不信感が根強く残っています。

( slide No. 12 )

 心身医学はもともと医学の内部における一つの専門分野という疾患の多様性を考慮に入れます。心と体は不分離で一体にして考えないといけない。従来の診療科と異なり、同じ疾患を診るにしてもその方法が違います。それを内科医の領域で行うのが心療内科です。

( slide No. 13 )

 生物学における人間的ファクター1。オハイオ州立大学で行われた実験です。ウサギに脂肪とコレステロールの多い食物を一定期間与えるとアテローム動脈硬化症が必ず引き起こされます。ところがこの変化が非常に少ないグループがあり、そこで議論すると、そのグループの研究者はウサギを抱っこして体をさすったり話しかけたりしながら餌をやっていたということがわかった。そこで研究しなおして、2つのグループで同じ餌をやりますが、片方のグループだけ数回同一の人が餌を与えかわいがります。そうするとこのグループはアテローム動脈硬化症が非常に少ないという以前と同様の結果が出ました。

( slide No. 14 )

 人間的ファクター2、こちらは人間での評価です。イスラエル人男性1万人を対象に狭心症発症にリクスファクターが関与しているかどうかを調べています。リスクファクターには不安が激しい心理社会的要因も関与しています。その結果、妻の愛情と支持を感じているグループはそうでないグループに比べて狭心症にかかる率が半分でした。男性は奥さんをぜひ大事にしてあげてください。女性はご主人を大切にしてください。これだけ違ってきます。このような人間的な要因がかかわってきています。

( slide No. 15 )

 人間的ファクター3。昔から奥さんに先立たれると、残された男性は癌や重篤な疾患に2〜5倍かかりやすいという研究報告がたくさんあります。実際に妻に先立たれた夫のリンパ球について調べています。リンパ球(T細胞、B細胞)は免疫に関係している細胞です。その総数は変化しませんが、いずれの細胞を刺激しても通常の機能を果たさなかったという報告です。

  逆にご主人が先立たれた夫婦で、愛しあっている夫婦とそうでない夫婦の免疫能を調べた研究も報告されています。男性が先に亡くなると女性のほうは生き生きと飛び立つように元気になります。実際に医学的にそれが証明されていたと思っています。愛し合っていない夫婦の女性の免疫能は一時は落ちますが、その後すっと回復します。愛し合っている夫婦の免疫能はがたっと落ちて、回復するまでに相当時間がかかります。男性の場合、ならして1年間くらいかかります。そういうときに癌などの重篤な疾患になりやすい。

( slide No. 16 )

 これは有名な研究です。乳癌の患者さんの心理反応と生存率の関係をみています。どの程度の進行癌でどの抗癌剤をどの程度使ったかにもよりますが、13年間みて癌の再発に一番関係したのは癌になった後の患者さんの心理反応です。前向きに病気を楯として真の健康を保とうとすると死亡率が減ります。逆に無力感のある方では高まります。身体面の治療には最後には癌の治療薬以外に心理面、社会面、いろいろな介入が必要です。

( slide No. 17 )

 これは私の病理学の恩師からいただいたスライドです。肺癌のレントゲン像ですが、全く治療していないのに2年後には自然退縮しています。癌の患者さんでは癌になったことによってその人の生き様が変わり、免疫能が活発になって癌が進行しなくなったり自然退縮する例が相当数、往々にしてあります。

( slide No. 18 )

 これは医師の言葉でどれだけ症状が違ってくるかということです。

( slide No. 19 )

 プラシーボは偽薬です。皆さんが飲んでいる薬は偽薬と比べて効果があるかどうかを必ず確認しています。

( slide No. 20 )

 プラシーボ手術もあります。1996年に整形外科の先生が発表した報告です。関節鏡を用いて慢性の関節炎に対してAグループでは病巣を除去して関節内を洗浄して縫合する、Bグループは関節内を洗浄して縫合する、Cは全身麻酔下で切って縫合するだけです。この研究手法は倫理委員会をなかなか通らないのですが。6カ月後、全員が軽快し手術に満足しています。このような報告はたくさんあります。結局、病気になったときの治療者との人間関係、家族関係、友人関係、このようなものがあって初めて医学、医療の技術は非常に力を発揮してきます。

( slide No. 21 )

 催眠下による火傷の試験でノーシーボ効果が認められています。アメリカの陸軍の兵士を使った1997年の研究です。真っ赤に焼けたアイロンのコテ先を催眠下に額に付けます。当然火傷になって水疱ができてかさぶたができます。次に催眠下に何も熱くないものを当てますが、火傷になります。それほど脳は体に影響を与えています。

  病になったときにほんとうに自分の性格、家族との関係、人生の歩みなど考えなおす一つの大きなきっかけになります。そこが変化することによって個人の全体的な健康、真の健康が得られるということを覚えておいてください。その一番大切な起点は病イコール悪ではないということです。

 どうもご静聴ありがとうございました。

 

 

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