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関西医科大学第9回市民公開講座
「川崎病ってどんな病気?」
荻野 廣太郎(関西医科大学附属男山病院小児科部長)
平成19年(2007年)1月20日(土)
八幡市立生涯学習センター

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(スライド1)

 私の話は川崎病というご高齢の方には興味のないお話かもしれませんが、お孫さんが川崎病になったとか、この病名を聞いたことがあるとか、けっこう発生頻度が高い病気ですので、この病気の名前をご存じの方も多いのではないかと思います。ただ問題となるのは、川崎病が誤解されて理解されていることが非常に多いのではないかと常々感じています。私自身医者なって30数年になりますが、小児科に入って1年目のときに難しい患者さんの第1号が川崎病でした。それ以来30何年間、この川崎病にとりつかれてずっとやってきました。川崎病について正確な知識を持っていただきたいと思って、院長先生から講師の依頼を受けたときにこの病気を選びました。

 川崎病はよく新聞に取り上げられドラマにもなっていますが、突然死する怖い病気、ととらえられているのが現状かと思います。確かに命にかかわることが起きる可能性を持った病気であることは事実ですが、現在では0.05%以下の死亡率まで下げることができていますので、決して怖い病気ではないことも含めてお話しいたします。

(スライド2)

 私は昨年(2006年)10月14〜15日に大阪朝日生命ホールで開きました第26回日本川崎病研究会の会長をやらせていただきました。前列の中ほどにいるのが私です。横にお座りになっているのがこの病気の発見者である川崎富作博士です。私も川崎先生とはずっと長いおつきあいをさせていただいています。今回もお呼びして来ていただきました。御年82歳でございます。

(スライド3)

 川崎富作先生は昭和42年(1967年)に喘息やアトピーについての雑誌『アレルギー』に「指趾の特異的落屑を伴う小児の急性熱性皮膚粘膜淋巴腺症候群」という表題で自験例50例の臨床的観察を発表されました。舌をかむような名前ですが、これは178頁から222頁にわたる非常に大作の論文です。この写しを図書館にお願いしたところ、普通のホッチキスでとまらないくらいの厚さで、非常に細かい臨床的な観察が載っております。すべての川崎病の研究はこの原著から始まりました。川崎先生が第一例目と遭遇されたのは1961年(昭和36年)1月5日の診療の日であったそうです。

(スライド4)

 きょうの話の流れです。(1)まず川崎病をどうやって診断するか。(2)川崎病の合併症は何か。(3)日本における川崎病の最新の実態はどうか。(4)川崎病の治療法、治療の限界はどこにあるか。(5)夢の治療法はあるか。この流れできょうは話を進めていきたいと思っております。

1.川崎病の診断

(スライド5)

 川崎病は全身の動脈の病気です。したがって頭の先から足の先までいろいろな合併症を起こしてきます。一番侵されやすい血管は心臓に血液を送っている冠動脈です。大人の方では冠動脈は狭心症や心筋梗塞を引き起こす血管で、ここに異常が出てくると大きな問題となります。1970年9月に診断基準の初版が出て、数年前の2002年5月に改訂5版が出ました。現在はこの『川崎病(小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群)診断の手引き』改訂5版でこの病気の診断を付けています。川崎病は英語ではMCLS(Mucocutaneous Lymph Node Syndrome)と略されています。現在は川崎先生のお名前をとってKD(Kawasaki Disease)と呼ばれることがほとんどです。

 本症は主として4歳以下の乳幼児に好発する原因不明の疾患で、その症候は以下の「A.主要症状」と「B.参考条項」とに分けられます。

 一番大事なのはこの主要症状です。

 (1)5日以上続く発熱。現在、ガンマグロブリン(免疫グロブリン)による非常にいい治療法が出まして、治療することによって5日続かずに熱が下がってしまうお子さんもいます。その場合にも主治医の判断で、治療によって熱が下がったと判断された場合には(1)の項目を満たすとされます。

 (2)両側の白目の部分(眼球結膜)の充血。ウサギの眼のように赤くなります。

 (3)口唇と口腔の所見として、唇が真っ赤になってあたかも赤い口紅を塗ったように見えます。そして舌がブツブツになる苺舌(いちごじた)がみられ、さらに口腔咽頭粘膜はベタッと真っ赤になります。

 (4) 体中に不定形の発疹が出ます。どんな形の発疹でもいいのです。

 (5)四肢末端の変化として、急性期の発熱時に手足の硬性浮腫がみられます。硬性浮腫とは押さえてもへこまない、しもやけのような状況を考えていただいたらいいと思います。‘てかてか、ぱんぱん’という言葉がありますが、そのようなむくみです。それから手のひら、足の裏、指先が真っ赤になります。熱が下がって、回復期、だいたい10日ぐらい経過すると指先から膜様のペロッとめくれるような皮膚の落屑が始まります。

 (6)急性期には非化膿性の、決して化膿しない頸部のリンパ節の腫大がみられます。

 この6つの主要症状のうち、5つ以上の症状を認めるときに川崎病と診断します。また6つのうち4つしかなくても経過中に超音波による断層心エコーもしくは血管造影法で冠動脈瘤が見つかったときには川崎病と診断します。これが病気の診断をつける方法になります。

(スライド6)

 (2)眼球結膜の充血。このスライドでもわかりますように、1本1本の血管が追えるような充血が特徴です。ベタッとした結膜の充血ではありません。

 (3)唇が赤くなって切れています。舌の乳頭はプツプツと大きくなって、いちごのような形になってきます。

 この写真は我々が経験した子どもの唇です。真っ赤になってお母さんの口紅を塗ったのかと思うくらいの赤さになります。この写真は、首のリンパ節腫脹があり、唇が赤く、目が充血しています。このような状態が典型的です。

(スライド7)

 (4)不定形発疹が出ます。これにはほんとうにいろいろな形があります。この子の場合には全身に見られます。またこの子の全身像で特徴的なのは、足の関節部分から下が真っ赤になっているのがおわかりかと思います。これが急性期における足の変化の特徴で、またBCGを接種したところがベタッと赤く限局性の紅斑になっています。

(スライド8)

 (5)四肢末端の変化には急性期と回復期があります。急性期には‘てかてか、ぱんぱん’の硬性浮腫があり、指で押さえてもへこみません。また写真のように手のひら、足のうらが真っ赤になってきて、指先も赤くなります。回復期になると爪と皮膚の移行部から膜様にこのような落屑(皮むけ)が起こってきます。

(スライド9)

 (6)頸部リンパ節の症状で川崎病かどうかでよく悩む病気に化膿性頸部リンパ節炎があります。この病気は頸部リンパ節の炎症で、感染によって起こるのがほとんどです。この二つの病気を見分けるのに首のリンパ節のエコーをとります。腫れている頸部リンパ節をエコーで見るとその違いが明らかです。化膿性ではでっかいリンパ節がどんとあって、その周囲に小さいものが見られます。それに対して川崎病のリンパ節腫脹は直径1cmくらいのリンパ節が累々と腫れていて、それが集まって一つの塊を作って大きく腫れている形に見えます。この特徴から、悩んだときには超音波エコー所見が非常に役立ちます。

(スライド10)

 もう一つ、診断に参考となる参考条項というのがあります。

 全身の血管の病気ですから全身にいろいろな所見が見られます。そのうちでも心臓血管の所見が一番大事です。

 消化器では下痢、嘔吐、腹痛、胆嚢腫大、麻痺性イレウス、肝機能障害などがみられます。

 血液では感染に特徴的な炎症反応がいろいろ出てきます。

 尿にもタンパクが出てきますし、膀胱炎のような所見にもなります。

 皮膚ではBCG接種部位の発赤、痂皮形成が川崎病に非常に特徴的な所見として大事になります。発熱時かその直前くらいからこれが始まり、早期診断に大切な所見です。

 眼の症状では、参考条項にはありませんが、虹彩炎という前房に細胞が浮遊してくるのも川崎病の一つの大きな所見になってきます。

 備考:(1)急性期における非化膿性頸部リンパ節腫脹は他の症状に比べて発現頻度が低いと言われていますが、3歳以上では80%以上の発現頻度があります。

 (2)性比は1.3〜1.5対1で男の子に多いのが特徴です。年齢分布は4歳以下が80〜85%を占め、致命率は0.1%前後です。一番新しい全国調査では致命率は0.04%という数字が出ています。

 (3)再発例が残念ながら2〜3%あり、同胞例が1〜2%に見られます。

 (4)主要症状を満たさなくても他の疾患が否定され、川崎病が疑われる容疑例が約10%あります。この中にも動脈瘤を作る例がありますので、症状がそろわない川崎病は決して軽い川崎病ではない、という事実を我々臨床医の肝に銘じておかなければなりません。

(スライド11)

 先ほど強調したBCG接種部位の発赤、痂皮形成です。判子接種を行いますが、接触面が真っ赤になって、一つ一つの接種部位がこのように赤く腫れてきます。しばらく時間が経つとかさぶたが出来て、それが脱落するともとのきれいな皮膚に戻るのが特徴です。コプリック斑を見れば麻疹(はしか)というくらい麻疹には非常に特徴的な発疹が口腔にできますが、我々のように川崎病をやっている医者の間では、BCG部位の変化を見れば川崎病と90何%以上は断言していいと考えています。

(スライド12)

 胆嚢の変化です。熱が出た日を第1病日として、4病日、5病日、10病日、19病日をみると、最初は胆嚢の壁が少し肥厚して急性胆嚢炎のような所見が出ます。それがだんだん広がって胆嚢腫大が起こって、そして回復期になると収縮能が回復して元に戻ります。これも不全型あるいは川崎病を疑うときには大事な所見になります。

 2.川崎病の合併症

(スライド14)

 川崎病についてこれだけは覚えて帰ってください。川崎病という病気の本体は全身の中〜小型の動脈の血管炎です。中でも特徴的に侵される動脈は心臓の冠状動脈です。

 病気になると多くは熱が出ますが、熱が出た日(第1病日)から10日目、第10病日頃から血管の組織そのもの全体にわたって炎症が起こってきます。動脈は血圧を支えていますから、その血圧を支えている構造が侵されてだめになったとき、血圧に負けて血管がボールのように膨らんでしまいます。それが動脈瘤です。何とかこの動脈瘤を作らない治療をきちんとそして積極的にやっていくのが、我々が目指している治療であり我々の使命と思っています。

 汎血管炎が起こって血圧に耐えられなくなると、程度はさまざまながら動脈瘤を形成します。したがってこの第10病日までにこの血管炎を押さえ込む治療が何にもまして大事になってきます。

 第18回の川崎病全国調査が2003〜2004年に発症した患者さんを対象にして行われ、その結果、急性期に13.6%、第30病日以降の後遺症期に4.4%の頻度で冠動脈瘤を中心とした心臓障害が認められました。特に内径8mmを超える大きな巨大冠動脈瘤では将来心筋梗塞を起こしたり突然死をしたりして大きな問題となるので、これを作らないことが突然死を予防するために非常に大事になります。巨大冠動脈瘤を合併症した患児ではこの冠動脈以外にも、腋窩動脈、足への入り口になる総腸骨動脈、腎動脈、肋骨の裏側を走っている内胸動脈にも動脈瘤を形成することがあります。

(スライド15)

 冠動脈とはどういうものか。血液は心臓の左心室から大動脈を通って体に送られていきます。また肺への血液は右心室から肺動脈を通って送られます。この大動脈の弁のすぐ上のところから右冠動脈と左冠動脈が出ています。左冠動脈は前に降りる前下行枝と後ろ側に回り込む回旋枝に分かれます。これが正常に働いてくれればいいのですが、大人の心筋梗塞の場合にはこの血管の内側に通過障害をきたす粥腫ができ、そして狭心症や心筋梗塞を起こします。川崎病の場合にはまず動脈瘤ができてきます。この瘤の入り口と出口が非常に細くなってくるので、狭心症や心筋梗塞、あるいはこの瘤の中で血液が固まって血栓症を起こしてきます。大人の狭心症や心筋梗塞とは違うメカニズムですが同じような病態が出てきます。

(スライド16)

 心エコーは非常に改良されて、最近ではいつでもどこでも使える器械になりました。その心エコー所見から冠動脈病変の重症度を分類しています。

 (1)まず冠動脈の拡大性変化を認めない。これで終わればほんとうに万歳です。大丈夫だとご両親に話をして帰ってもらうことができます。5年間の経過観察で「もう終わりです」と言えます。

 (2)第30病日までに正常化する軽度の一過性拡大。病気が経過している間に血管が少し広がった群です。この1番と2番でくい止められれば現時点においては、将来心筋梗塞や狭心症の予備軍になることはたぶんないだろうと言われています。

 (3)第30病日において小動脈瘤。内径が4mmを超えないもの。

 (4)第30病日において中等瘤。内径が8mmを超えないもの。

 (5)巨大瘤は8mmを超えるもの。(3)、(4)、(5)のうち、(4)中等瘤と(5)巨大瘤になってくると少し将来の問題が出てきます。

(スライド17)

 急性期の冠動脈の直径から分類すると、小動脈瘤あるいは拡大と呼んでいる4mmを超えない局所性の拡大症例では、その予後はいいと考えています。中等瘤は4〜8mmの間です。内径が6mmを超えると狭窄性病変に進展する可能性があり、その事実が報告されています。何とか内径6mmまでで病気に勝つことができれば、最低限何とかできたかと思います。8mmを超えると狭窄性病変に進展し、また血栓性閉塞による突然死が起こる可能性があり、細心の注意が必要です。昔言われた小児の突然死というのはこのグループで、急性期にも1年以上過ぎた後にも起こってきます。したがって瘤を作らずに回復すれば、あるいは2番までで止めることができれば突然死はまず起こらないだろうと言えます。

(スライド18)

 巨大冠動脈瘤の心エコー所見とはどのようなものでしょうか。右冠動脈、左冠動脈は大動脈の起枝部から出ます。ここが大動脈で、右の冠動脈が前に降りていますが、この黒く抜けた部分が動脈瘤でしかも巨大です。左冠動脈の前下行枝がこちらにいきますが、ちょうど主冠動脈に大きな動脈瘤があり、左前下行枝にも瘤があります。

(スライド19)

 同じ症例ではありませんが、血管造影の写真を示します。この細い血管がこの子の正常の血管の太さです。これと比べていただければ自ずとおわかりでしょう。右冠動脈はまさにナメクジのように全体的に拡大しています。この部分は末梢の血管ですから細くなっていますが、それと比較すると左冠動脈も大きな動脈瘤であることがおわかりでしょう。

(スライド20)

 これは1990年に経験したケースです。生後4カ月の子どもで第25病日です。左の冠動脈では前下行枝、回旋枝、すべての血管で動脈瘤が累々と形成されています。ここに見えているこの太さがこの子の正常の動脈の太さです。右の冠動脈に至っては数珠状の大きな動脈瘤があります。

(スライド21)

 そして6カ月ほど経過すると、右冠動脈はここで血栓による閉塞があり、以遠の血管が描出されていません。閉塞していることがわかります。ここは前のスライドで動脈瘤があった部分ですが、99%の狭窄を認めます。非常に細くなって左前下行枝への血流が青息吐息で流れています。このケースでは冠動脈バイパス術を行いました。前下行枝は左内胸動脈とつないで、右の冠動脈は胃大網動脈とつないで、現在幸い元気にしています。

(スライド22)

 現在では検査技術がどんどん進んで、マルチスライスCTという検査法ができています。動脈瘤の経過観察に先ほど見せたような造影検査をせずに動脈瘤の経過を見ることができます。最先端の画像です。これが大動脈、そしてそこから左の冠動脈がみえます。ここに少し血管が広がっているのがわかります。小さな動脈瘤です。右の冠動脈には2つの中等度の冠動脈瘤があります。白く見えているのは石灰化して血管が硬くなっている部分を示しています。

(スライド23)

 左冠動脈です。血管造影でみると、ここが広がっています。血管を輪切りにして断面図をみると、左側の血管には少なくとも拡大所見がありますが、周辺に石灰化を伴った狭窄を思わせる所見はありません。

(スライド24)

 右の冠動脈には2つの瘤がつながっています。それをマルチスライスCTで見るとやはりここに瘤が見えます。この白い部分は石灰化病変です。輪切りにすると、上のここに石灰化、ここの断面では下に石灰化が見られます。石灰化があると、将来狭窄性病変に移行する可能性が極めて高いということを教えてくれています。この検査方法では末梢血管から造影剤を入れて見ることができます。大きな子どもでは血管造影をする必要のない時代が到来しつつあると理解していいと思います。

(スライド25)

 怖い写真を2枚出させてください。私は30年以上川崎病にとりつかれてやってきましたが、1例だけ亡くしました。生後58日の2カ月に満たないお子さんで、最初は川崎病と診断がつかずに敗血症という感染症と考えていました。後から症状がそろってくると非常に小さな子どもの川崎病とわかりました。12月に発症して1月1日に第1回目の心筋梗塞を起こしましたが、そのときは事なきを得ました。その原因は右の冠動脈瘤の閉塞です。病気になって7カ月のときに今度は左冠動脈の巨大動脈瘤が血栓で詰まって、回旋枝に急性の心筋梗塞を起こして、残念ながら救えませんでした。

(スライド26)

 これが心臓の裏面です。黒くなったところが回旋枝領域の急性心筋梗塞です。後にも先にも失った子どもはこの子一人ですが、この経験がいまだに川崎病にとりつかれてやっている原動力かもしれません。

(スライド27)

 少し組織の勉強をしたいと思います。これが正常冠動脈の輪切りの写真です。内弾性板、外側に外弾性板、その間に筋肉層の中膜があります。この内外弾性板と中膜が血管の内圧(血圧)に対応して弾力性をもって広がったりもどったりを繰り返している基本構造です。この中膜、内膜、外膜、いずれにも白血球やリンパ球のような炎症性細胞は見えません。

(スライド28)

 これが第18病日に亡くなった子どもさんの冠動脈の病理組織です。血栓で動脈瘤が詰まって、そしてお亡くなりになりました。これが内弾性板の切れ端です。外側の外弾性板は全くありません。筋肉層の中膜には全体的に炎症性細胞が浸潤して汎血管炎の特徴を呈しています。動脈の内圧に耐えられない構造になってしまっています。

(スライド29)

 この求心性内膜肥厚は川崎病の特徴の一つです。内腔が細くなり、内膜が全周性に肥厚しています。組織のスライス写真からは、正常に近い部分から末梢にかけて巨大瘤ができているのがわかります。

(スライド30)

 これは発症後12年で死亡した症例の再疎通血管です。この大きな外周がもともとの血管壁で、拡大して動脈瘤を形成しています。血栓で一旦閉塞したこの動脈瘤の内側にまた正常の血管構造を持ったような再疎通血管ができてきてレンコンのように見えます。これは血流を少しでも取り戻そうとしている姿です。このような血管内血管は子どもにしかみられない病理組織像です。

(スライド31)

 川崎病発症17年後に突然死した二十歳の男の子です。完全な血栓性の閉塞と小さな血管が少数見えています。矢印で示しているところは全部石灰化病変です。内腔が非常に狭くなって、そして詰まって亡くなっています。

 今までお話ししてきたことでおわかりいただけるように、亡くなられたお子さんはすべて動脈瘤を持っています。病気が強ければ心筋炎が起こって不整脈で亡くなる急性期のお子さんがまれにおられますが、多くの場合の突然死は動脈瘤を作って、その変化として血管が細くなったり、血栓で詰まったりして亡くなられます。「動脈瘤さえ作らなければ突然死はありません」と言葉にすれば非常に簡潔明瞭ですが、これが川崎病に対して非常に大事なポイントだと思っています。

(スライド32)

 これは病理の先生が作った図です。正常の血管、赤く一部分だけ血管炎を起こしている血管、全周に炎症が広がった汎血管炎の様相の血管、そして血管の拡大が起こり、瘤を形成します。瘤を形成して広がったままいくケースでは、先ほどのような血栓性閉塞後のレンコン状の血管になったり、求心性の内膜肥厚の状況になったりします。将来これが狭くなって心筋梗塞に進展することもあります。従って我々臨床医がめざさなければならない血管炎の範囲はここまでです。弱い部分的な血管炎であれば血圧に耐えられるので、正常に近い血管構築を温存した状態で回復します。何とかこの範囲で治療を完結したいというのが我々臨床医の切なる願いです。

(スライド33)

 自然経過をもう一度復習します。病気が発病すると、

→(a)血管の炎症が起こる。→冠動脈の拡大が起こる。発病して10〜15日目くらい。→そして1カ月で正常に戻ります。これが一番うれしい経過です。

→(b)正常に戻らなければ5%程度に冠動脈瘤を残して→1年後には自然に元に戻ります。血管壁の肥厚は残っていますが、見掛け上はよくなります。

→(c)冠動脈の変化があると動脈瘤が退縮しない例が1%。→軽快。

→(d)さらに1%以下で後遺症が残ります。

 この1%以下の動脈瘤を持ったお子さんに対しては、血液を固まりにくくして血栓性疾患の予防を行い、定期的な検査をし、必要であれば運動制限をします。重症例では冠動脈のパイパス手術を行います。昔はリウマチ熱が後天性心疾患の第一位でしたが、今ではこの川崎病が全世界において第一位になっています。

3.日本における川崎病の実態

(スライド35)

 これが第18回の川崎病全国調査成績です。現在第19回の全国調査が行われています。2005年と2006年の症例を集めて統計をとる予定です。これは第18回ですから、2003年と2004年分で、その結果が2005年9月1日に報告されました。

(スライド36)

 年次別、性別の患者数をみていくと、川崎病は1979年、1982年、1986年の3回、ほぼ3年間隔で大流行があったので、我々は1989年から1990年にかけてまた来るのかと思っていましたが、肩すかしを食らいました。それ以後3年ごとの流行はありませんでした。しかしながら1995年に6000人を超え、2000年には8000人を超えました。2004年には1万人に迫っています。出生数がどんどん減る一方で川崎病の患者数はふえ続けています。

(スライド37)

 罹患率でみると、男の子の罹患率は1982年のピークをまだ抜いていませんが、罹患率は2位にまで上がってきています。0〜4歳の人口10万人あたり、だいたい200人罹っているという非常にポピュラーな病気になってきました。

(スライド38)

 月別にみるとまさに今、1月に川崎病の発症ピークを迎えています。男山病院でも最近川崎病の患者さんが切れることなく入院されていて、12月〜1月の流行期をまざまざと思い知らされています。

(スライド39)

 年次別、性別の罹患率のピークをみると、どの調査年をみても9〜11カ月の乳児でピークを持つ一峰性のカーブを示しています。4歳以下で全体の85%くらいの患者数を占めています。年長児にもありますし、成人になって川崎病になるという報告も聞かれます。

(スライド40)

 年齢別の心臓障害をみると、6カ月未満のところに一つの山があります。そして5歳を超えたあたりから年長児に心臓障害の増加がみられます。大きなお子さんに川崎病の心臓合併症がなぜ多いかというと、一つには症状がポロポロと時間をかけて出てくるので、診断が非常につきにくいことがあります。小さな子のようにすべての症状が出そろうことが少ない。診断がついたときには先ほど強調した第10病日を過ぎていて、その結果として冠動脈障害の頻度が高まるのだろうと推測しています。

(スライド41)

 これは見えないほどの細かい数字ですね。一番死亡率が高かったのが1973年の2.23%。2004年には0.04%。2001年は0%というときもありました。現在では1万人に4人くらいの死亡例が残っています。何とかこれを0人にしたいと思っていますが、0.1%を切った数字がずっと続いているので、我々臨床医としては非常にうれしいことです。

4.治療法

(スライド43)

 日本小児循環器学会で「川崎病急性期治療のガイドライン」が2003年に発表されました。治療目標には「急性期川崎病治療のゴールは、急性期の強い炎症反応を可能な限り早期に終息させ、結果として合併症である冠動脈瘤の発生頻度を最小限にすることである。治療は第7病日以前に免疫グロブリンの投与が開始されることが望ましい。特に冠動脈拡張病変が始まるとされる第9病日以前に治療が奏効することが重要であり、有熱期間の短縮、炎症反応の早期低下をめざす」と書かれています。

 私は第10病日で話をしてきましたが、第9病日をとるか第10病日をとるか難しいところですが、少なくともこの病日の前に川崎病の血管炎との戦争に勝たなければならないということが言えます。

(スライド44)

 川崎病の治療法の変遷を振り返ってみます。手さぐりの時代は川崎先生が悩まれた時代です。抗生剤、ステロイド、免疫抑制剤などその当時考えられる薬がすべて使われている様子が先生の報告の中にみられます。

 次に血管炎だからステロイドが効くだろうと、1970年代後半まではステロイドの時代でした。私はちょうどその頃に医者になりましたから、ほんとうに大量のステロイドを経口投与で与えていました。この当時、巨大冠動脈瘤が非常に多く発生したこと、動脈瘤が破裂して亡くなるお子さんが出たことが問題となり、ステロイドは血管炎を抑えるとともに血管の修復過程まで抑えてしまうことから、ステロイドの時代はいったん終わります。

 そして1970年代後半から1980年代後半の約10年間、アスピリンの時代がきます。九州大学の小児科教室のみがステロイドに手を出さずにアスピリンのみで治療をしていて、その教室の治療成績が日本で一番よかった。他施設からの報告もあり、ステロイドをやめてアスピリンを使おうと使われ始めます。現在でもアスピリンは抗血小板療法として免疫グロブリンと併用されています。

 そしてエポックメイキングな治療法が免疫グロブリン療法です。1984年に古庄先生によって最初に報告され、1986年にアメリカでこの成績が追認されました。古庄先生は400mg/kgを5日間投与したらよく効いたと報告しています。アメリカは入院が1日延びるだけでも非常に高額の医療費がかかります。何とか入院期間を短縮したいために何と400mg/kg×5日分、つまり2000mg/kgという大量の免疫グロブリンを1日で投与するという、我々日本人にはおよそ想像できないような治療法を1991年に開発して、そしてそれが世界標準になってしまいました。日本で保険適応ができたのが1990年10月で、やっと200mg/kg×5日、トータル1000mg/kgが保険で認可されました。この世界標準である2000mg/kg1回投与は何と2003年7月まで使えなかったため、我々にとって非常にいらいらした時代が続きました。

 今問題となっているのは、免疫グロブリン療法に反応が悪い症例が10〜20%ほどあることです。初回の免疫グロブリン投与が効かない子どもに対してどうするか。そして効かない子どもの冠動脈瘤発生率は非常に高い。これをどう治療するかということが最大の課題になっています。

(スライド45)

 この1995年、1996年の報告を見ていただくと一目瞭然です。アスピリンでじっと我慢して治療していたときの冠動脈瘤の形成頻度は20数%です。日本で最初に保険適応になった免疫グロブリンの200mg/kg×5日では15〜20%です。そして古庄先生が最初に報告された400mg/kg×5日では約10%。そして2000mg/kg1回では何と5%を切るくらいの良好な治療成績が得られています。我々はこの治療法をできるだけ早く導入したいと考え、関西医大の中では私が最初に導入して、よく効くと実感しましたし、今もこの治療法を行っています。

(スライド46)

 これが日本の成績です。1997年から2004年までをみますと、第15回(1997〜1998年)の段階では急性期の心障害は20%、後遺症期には7%、死亡率は0.08%ありました。そして第18回までこの数字がずっと下がってきて、やっと後遺症期で4.4%と世界標準に近づいた治療法がなされるようになってきました。

(スライド47)

 川崎病の免疫グロブリン治療で一つの特徴はその量です。初回投与量と瘤の発生頻度をみると、初回投与量が少なければ少ないほど瘤の形成が多い。多いほど少ないという傾向が如実に出ています。

(スライド48)

 ガンマグロブリンの初回投与量がどういうふうに推移してきたか、1997年から2004年までみています。保険適応で認められた200mg/kg×5日が急速に減少して1.1%に、400mg/kg×5日も減少して9.1%に、1000mg/kgが増加して40.4%に、2000mg/kg×1日が急速に増加して49.5%を占めるに至りました。これが先ほどお見せした治療成績の改善に役立っています。

(スライド49)

 次に治療を開始する病日はいつがいいかということをみると、第5〜7病日で治療開始するのが一番よいようです。早すぎてもだめ、第11病日以降に治療を開始すると圧倒的に悪いのがわかります。

(スライド50)

 その投与開始病日をプロットすると、第5病日から始めている先生がふえていますし、第6病日も多い。第3病日の投与や第8病日以降の遅い投与も減っています。このあたりからみても冠動脈障害の抑制に働いていることがわかります。

(スライド51)

 冠動脈障害発生頻度をみてみますと、巨大瘤だけが確実に減っていないという事実があります。瘤も拡大も一過性拡大病変も減っていますが、巨大瘤だけはどうしても右肩下がりにできていないことが今の大きな課題です。これを何とか0にする。私の夢です。

(スライド52)

 第18回の調査結果の中で、冠動脈障害の発生率はガンマグロブリンを使っていないグループでは3%くらいです。免疫グロブリンを使った群全体でだいたい4%。そして1回だけの治療ですっとよくなったお子さんは2%ですんでいますし、巨大瘤も非常に少ない。そして1回目のガンマグロブリンが効かずに追加治療を必要としたお子さんでは10数%まで冠動脈障害が出ています。このグループを何とか治療していかなければなりません。

5.夢の治療法

(スライド54)

 現時点で決定的な治療法はありません。初回の免疫グロブリン治療で効かないお子さんに対して免疫グロブリンの追加治療がよく行われています。これでだめなときにステロイドのパルス療法が行われています。そして初期から好中球の機能を抑えて、血管炎を抑える治療もされています。免疫グロブリン、ステロイドでだめなときは血漿交換療法があります。血液中にサイトカインという炎症性の物質が重症例では非常にふえます。その物質を物理的に血液中から排除しようというのが血漿交換療法です。

 最後の砦として大事なもので現在一番注目を集めているのが抗サイトカイン療法です。TNFαは血管炎を惹起するのに非常に重要な役割を果たしているので、これを中和する薬(抗体)が開発され、一部の重症例に使われ始めています。しかしこの抗サイトカイン療法にも3割くらいの不応のお子さんがいるので、これが救世主になることはないと思います。第10病日を期限とした時間との戦い、これが川崎病の治療です。

(スライド55)

 現時点で最良と私自身が思っている治療プロトコールです。

 初回の免疫グロブリン療法2000mg/kg、そしてだめなときには

→もう一度追加して免疫グロブリンを2000mg/kg。それでだめなケースは2つに分かれると思います。抗サイトカイン療法とステロイドパルス療法です。抗サイトカイン療法は現在保険で認められていませんので、これをやろうとすると病院長にお願いして病院側が薬剤費を負担してやらなければなりませんので、今は使っていません。

→ステロイドパルス治療。現実的治療法としてはこの治療法を用いています。そしてその不応例には

→血漿交換療法で最後に逃げる。これが現時点では一番いい治療プロトコールかと私自身は考えています。

 何とか免疫グロブリン投与の段階で有効に導いていきたいと願いつつ、治療を行っています。

 以上です。ご静聴ありがとうございました。

 


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