関西医科大学第9回市民公開講座 |
「痛みのメカニズム −治療のための痛みの分子メカニズム−」 |
伊藤 誠二(関西医科大学医化学講座教授) |
平成19年(2007年)2月3日(土) |
関西医科大学附属滝井病院本館6階臨床講堂 |
司会 中井 吉英(関西医科大学心療内科学講座教授) |
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司会(中井:関西医科大学心療内科学講座教授)
きょうは痛みをテーマに市民公開講座を開催いたします。ここに来られた方のお顔をながめていますと、痛みで困っている方はかなりおられそうです。私も実は20代から30代にかけて飲酒運転の車に2回追突されて1年間慢性痛で苦しみました。その他に腰痛でも苦しみました。そのような体験を持っている方がたくさんお越しだと思います。
なぜ痛みをテーマにしたか。滝井病院には痛みの専門医がたくさん集まっていますし、ブレインメディカルセンターという痛みの治療施設があります。さらにブレインメディカルリサーチセンターという痛みの研究施設も立ち上げました。
日本には慢性痛で悩んでいる方が1700万人いると推定され、人口の13.4%というずいぶんたくさんの方が痛みを有しています。しかも50歳以上の方が多い。きょうのこの会場でも50歳以上の方で8割くらい占められています。
もう一つ、慢性痛で悩んでいる方の約70%は痛みがちゃんとコントロールされていないということもわかってまいりした。その半数以上の方は通院を継続せずにマッサージや鍼灸を受けて、自分で何とか痛みをなくそうといろいろ工夫されています。
例えば私どもの心療内科に入院している患者さんの症状を挙げれば、潰瘍性大腸炎後の腹痛、仙腸関節痛や腰痛といった整形外科領域の慢性痛、狭心症と同じような痛みが胸にあるNCCP(非心臓性胸部痛)、上肢痛、両肩と上肢の痛み、最近では全身の痛みを伴う線維筋痛症、両下肢の完全麻痺を伴う腰背部痛、片頭痛、このように随分たくさんの患者さんが痛みで入院されています。
入院された患者さんのうち4人に1人は慢性痛の患者さんで、女性が多い。だいたい6割を占めています。年齢分布を見ると、40代と70代にピークがあります。最近は慢性痛で悩んでいる60代以上の方が非常にふえてきています。
私たちは慢性の痛みで悩んでいる方を「慢性痛症」、「慢性疼痛症候群」と呼んでいます。慢性の痛みは身体的、心理的ないろいろな要因が加わって、非常に複雑な病態を形成してきます。心療内科に慢性痛で入院された患者さんは平均48.5カ月、4年半痛みで苦しんでいます。痛みは1週間でも続くと苦しいものですが、それが4年半あって入院されています。
急性の痛みは外傷や骨折など身体的な要因が中心です。慢性疼痛から我々の心療内科に紹介されてくる難治性疼痛になると、体の原因もありますが、例えば職場に行けない、仕事ができない、うつのような気分になるなど、心理面、社会面、行動面の要素が加わってきます。図の左から右にいくほどトータルペインとなり、体の痛みだけでなく、こころも含めた全体の痛みになるのが慢性痛の特徴です。
これを踏まえて、きょうはまず医化学の伊藤先生から痛みのメカニズムについてわかりやすくお話ししていただきます。伊藤先生は痛みの基礎医学においては日本を代表する研究者です。整形外科の赤木先生は腰痛の専門医です。神経内科の伊藤先生は頭痛の専門医です。麻酔科の田口先生はペインクリニシャンとしての専門医です。それから私ども心療内科の福永先生も痛みの専門医です。このような5人の顔ぶれの先生方に痛みについてそれぞれの立場でお話をしていただいて、40〜45分残る予定です。そこで皆様方からいろいろな質問をしていただきたいと思います。痛みの専門医ばかりですから、ちゃんと答えを出していただけるものと思います。それではまず最初に痛みのメカニズムについて、医化学の伊藤教授からお話をしていただきます。
伊藤 誠二(関西医科大学医化学講座教授)
(スライド1)
こんにちは。私からは難しい話をしないつもりですが、きょう理解していただきたいことをレジュメにしてお手許にカラーで3枚に印刷しています。それを参考にしていただきながら話を聞いてください。私は患者さんを診るのではなくて、基礎医学の領域でどうして痛みが起こるのかということを研究しています。最近、痛みのメカニズムが非常によくわかってきています。現在でも、慢性痛、特に神経因性疼痛(神経が傷つけられたことによる痛み)は治らない、治りにくいと考えられていますが、神経因性疼痛を含めた慢性疼痛の多くは治ると信じています。今日は痛みのメカニズムからそれをどういうふうに治療に反映させるか、わかりやすく話したいと思います。
4つのことを話したいと思います。1.痛みはどのようにして生じるのか。2.痛みはなぜ持続するのか。3.慢性疼痛は治るのだろうか。これは非常に重要なことで、私は治ると思っています。4.最後に関西医科大学ではさらに痛みに取り組んでいきたいと、基礎と臨床の各科が連携して研究と診療が合体したセンターを作りました。そのブレインメディカルリサーチセンターについて。
(スライド2)
これは1750年頃の外科講堂の手術場風景です。床屋さんの赤と青の回転灯に象徴されるように、職人がまさに足を切断しようとしており、傍らの人はおそらく大学のスタッフで偉い人だと思いますがパイプを咥えてじっと見ています。患者さんの恐怖におののき、非常に痛そうな悲痛な顔があります。ルネッサンスが終わった18世紀半ばのヨーロッパにおいて、麻酔をしないで不潔な環境で手術が行われていました。去年非常に話題になった「国家の品格」という本にも書かれているように、江戸時代の日本の方が医術が進んでいたところもあるようです。
(スライド3)
この図の医者(胃の手術で有名なBillroth教授)は麻酔下でちゃんと白衣を着てご自身で手術をされています。我々があたりまえと感じていることが手術において約150年前に初めてできるようになってきました。
(スライド4)
先ほど中井先生が紹介されたグラフと非常によく似ています。痛みが続くとほんとうに自分は死んでしまうのではないかと悩んでしまいます。したがって痛みは人類の歴史が始まったときからの非常に重要な問題です。
これは一昨年の『ペインクリニック』という雑誌に発表された大規模調査の結果です。痛みはほんとうにずっと昔から問題になっています。2番目のカラムは日本のデータで、適切に治療されていないと考えている患者さんが日本は77%と非常に多い。ヨーロッパは40%でかなり少ない。日本では痛みをどう扱うかというのは非常に大きな問題です。
何十万人もの大規模調査をすると、5人に1人が慢性痛を感じ、お年寄りの方のほうが強く痛いと感じています。男性よりも女性に多く、腰背部痛が最も多い。関節炎・関節変性症が基礎疾患にある方が多い。内臓痛で外来を訪れる患者さんが多い。最も問題になることは痛みがあることで生活の質が低下することです。したがって痛みをどう克服するかということはこれから迎える高齢社会において非常に重要な問題だと考えています。そのために我々は基礎的な研究を行っています。
(スライド5)
痛みは本人だけが感じるものですから、「ちょっと痛がりだね、我慢しなさい」と、痛みをそれほど重要視してきませんでした。しかし痛みはやはり病気であって、生活を快適に送るためには年齢にかかわらずきちんとコントロールして、痛みのない生活をする必要があると考えています。
(スライド6)
痛みは一般的にお年寄りに多いと言いましたが、整形外科の手術後の急性期の痛みは年齢を問わず同じ経過たどっています。手術をされた方なら手術直後の痛みを経験されていると思います。痛みは本人しかかわらないので痛みの強さを判断するときに、全く痛みがなくてニコッとしている顔は0cm、非常に痛くて泣きそうな顔は10cmとして、顔の表情から0〜10cmの尺度に置き換えて、自分の痛みはどれくらいかを数値化します。これをVASと言います。
痛みは手術が終わった直後が非常に強く、手術後1週間もするとなくなっています。非常に若い12歳でも90歳のお年寄りでも同じような経過です。痛みは本来生体にとって非常に重要なシグナルですが、その原因がなくなってしまうと痛みもなくなってしまいます。このことは我々だれもが体験して知っていることです。
手術の後の痛みは傷が治れば消えるので、基礎研究の領域では組織損傷や炎症に伴う痛みがどうして生じるのかということは非常によくわかってきています。
1.痛みはどのようにして生じるのか?
(スライド7)
ヨーロッパにおいては昔から鎮痛薬としてこの柳の木を煎じて飲んでいました。その柳の木から約100年前に皆さんご存じのアスピリンが作られました。今でも頭痛がするとアスピリンを飲む方がいますし、アスピリンは100年経った今でも消炎鎮痛薬、痛み止めの王座です。ただ胃を荒らすという副作用が問題になります。そこで関節リウマチの患者さんのように長期に服用しなければならない人のためにより安全なアスピリンが最近の科学の進歩によって世の中に出てきています。
(スライド8)
我々が実験するときには同じ動物の左足と右足で比べるようにしています。この動物でも左足と右足のどちらに炎症が起こっているかわかりますね。腫れぼったいほうが炎症を起こしています。この足に何が起こっているかを考えてみます。
(スライド9)
実験では炎症を起こす物質を使いますが、傷口でも手術でもまず皮膚の損傷から炎症が始まります。そこには神経終末があり、とらえた情報は背骨の脊髄に伝えられ、ここで情報が変換されて脳に伝えら、我々はここで痛いと感じます。炎症部位には非常にたくさんの物質が出てきます。
先ほど言いましたように麻酔下の手術は150年くらい前から始まりましたが、古代ローマ時代に「痛みと熱感を伴う発赤と腫脹」を炎症の4徴(候)と称されていました。腫脹とは血管が拡張してここから滲出液が出てきて腫れぼったくなっている状態です。戦闘に明け暮れていた古代ローマでは、機能障害を加えて炎症の5徴とよばれることもありました。
(スライド10)
組織が損傷されると非常にたくさんの物質が出てきます。こういう物質が非常に炎症にきいています。炎症を起こすもの(炎症性メディエーター)の一つにプロスタグランジンがあります。一般にPGと略されます。
(スライド11)
生体はおよそ40兆個の細胞から成り立っていて、個々の細胞は細胞膜を通してアンテナを出してお互いに他の細胞と情報のやりとりをしています。プロスタグランジンは炎症を起こすこの部分、細胞膜から出てくるアラキドン酸という脂肪酸からCOX(シクロオキシゲナーゼ)という酵素によってできてきます。アスピリンはCOXという酵素を働かないようにしてプロスタグランジンの産生を抑制して消炎鎮痛作用を示します。ところがプロスタグランジンは炎症反応や痛みに係わるだけでなく、中には胃粘膜の保護のように生体にとっていい作用もあり、プロスタグランジンの産生をすべて抑えてしまうと、鎮静作用の他に胃を荒らすという副作用も出てきます。
(スライド12)
皮下の神経の自由終末には痛みを感じる受容体があり、プロスタグランジンの受容体もあります。プロスタグランジンのような炎症性メディエーターが細胞膜に作用すると、神経終末を非常に活性化します。皮膚で感受性が高まることを末梢性感作といいます。「感作」とは感受性が高まっているということです。ここで「リン酸化」が重要で、この言葉を覚えておいてください。後でときどき出てきます。痛みを感じる受容体がリン酸化されると痛みを非常に感じやすくなります。アスピリンはプロスタグランジンの産生を抑制してこの働きをなくしてしまうので、痛みの感受性が下がります。最近までわからなかったことは人間は痛みをどう感じるのだろうかということです。
(スライド13)
例えばなぜ我々は熱いと感じるのか。そのとき、そこには何らかの物質があるだろうと考えられながら、よくわかっていませんでした。1997年、約10年前に実は我々が食べている唐辛子に由来するカプサイシンという物質の受容体が見つかりました。トウガラシのような辛いものを食べると汗が出てきますが、その汗をかかせるものの受け手が実は我々が熱いと感じる受容体そのものでした。トウガラシの主成分のカプサイシンはこの受容器を活性化します。
(スライド14)
これはどういう構造をしているかという図です。物事を感じるときには細胞膜にある受容体あるいはイオンチャネルというものが関係しています。神経の細胞膜にある熱いと感じる受容体を通って細胞の外からカルシウムが細胞の中に入ってくることで、我々は熱いと感じます。
皆様方がお風呂に入っていて熱いと感じる温度はだいたい42℃です。この受容体は42℃になるとカルシウムが入ってきて熱いと知らせてくれます。そこで手を引っ込めてちょっと水を入れようと、火傷になることを防いでいます。
ところが海水浴をすると日焼けをします。いわば軽い火傷です。お風呂に入ると非常に熱い。そのとき実は受容体は活性化状態にあって、おそらく37℃でもカルシウムが入ってきて痛いと感じています。
受容体を通って細胞の外からカルシウムを入れることで我々は痛いと感じていると申し上げました。その受容体がリン酸化されると痛覚過敏になります。感受性が上がって痛覚過敏のときには37℃でも反応するようになっているということがよくわかってきました。
(スライド15)
さらにおもしろいことに、トウガラシで活性化されるカプサイシン受容体(TRPV1)と非常によく似た仲間がいくつか体の中で見つかっています。例えばTRPM8は25℃で活性化されます。薄荷(ハッカ)の入ったガムを食べると非常にすかっとした感じがしますね。そのときは実はこの受容体が活性化されています。皆様方も私も好きなものにワサビ、ショウガ、大根がありますが、これらを食べると我々は冷たいと感じます。その受容体も見つかっています。カプサイシン受容体は暖かいと感じる受容体ですが、その逆に冷たいと感じる受容体もあり、我々は「熱い」「冷たい」のそれぞれを感じています。こういうものが実際に我々の体に備わっています。
(スライド16)
そう考えてきますと、細胞膜に受容体があり、熱いと感じるあるいは冷たいと感じる。この受容体が変化する、つまりリン酸化されることで感受性が上がっている。このような状態が痛みを引き起こす機構です。
(スライド17)
昔から五感がありますね。五感を超える「勘」を第六感という言葉で使われますが。生物学的には実体がありません。視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚のいわゆるアリストテレスの五感はすべて細胞膜表面にある受容体を介して、受けた感覚刺激を脳に伝えています。最近の研究で、痛みも他の感覚と全く同じで細胞膜受容体イオンチャネルを介して生じます。ところが‘喉元過ぎれば熱さを忘れる’という言葉があります。おいしいものを食べても舌で味わって胃に入ってしまうとなくなってしまいます。美しいものを見ても見えなくなればすぐになくなってしまいます。ところがなぜ痛みは続くのでしょうか。痛みが続かなければ我々は慢性痛になることはありません。なぜ他の感覚と違って痛みは続くのかということが次の問題です。
(スライド18)
痛みを考えてみると、例えば熱いやかんに触れるとぱっと手を引っ込めてしまいます。生体は火傷しないために反射的に反応しています。机の角でぶつけて痛くても、生理的な痛みはその場で収まってしまいます。もちろん火傷や打撲から炎症を引き起こしてしまうと先ほど申し上げたプロスタグランジン等が関係する炎症性疼痛になりますが、これも炎症が治まれば消滅します。ところが神経が病むことによって起こる痛み、つまり神経因性疼痛には治りにくいものが多く、神経そのものに痛みが起こると考えられています。
2.痛みはなぜ持続するのか
(スライド19)
持続する痛みを考えるとき中枢性感作、一酸化窒素、プロスタグランジン、グルタミン酸という言葉がキーワードになります。帯状疱疹で発疹が出ているときに痛いのは当たり前ですが、発疹が治っても後に痛みが残る帯状疱疹後神経痛は高齢の方に非常に多い。高齢化社会を迎えたとき、これは非常に大きな問題となります。
(スライド20)
皮膚の下で炎症があるとします。最初は末梢の炎症で非常に痛い。これが長く続くと痛みを伝える神経は脊髄に痛い信号を持続的に送り、脊髄での反応性を変化させます。ここで痛いことが起こっていると感じてしまいます。
(スライド21)
アロディニアは触ったり風が吹くだけでも痛いという過敏な症状です。神経によって痛いと感じる神経因性疼痛は、脊髄の感受性が増大してアロディニアが出てきます。そうなると末梢に原因がなくなっても痛みが続き、非常に治りにくい。脊髄で感受性が上がっていることを中枢性感作と呼んでいますが、これが問題となってきました。
(スライド22)
この図は先ほどの皮膚でとらえた痛み刺激を末梢神経から脊髄に伝達するところを拡大して見ています。脊髄でどのように痛みが伝えられるかというと、炎症部位ではプロスタグランジンが痛みを伝える神経終末を刺激します。そうするとカルシウムが上がってグルタミン酸が出てきます。それが脊髄の神経細胞を活性化します。その結果、一酸化窒素を合成します。
キーワードがいくつか出てきます。皮膚の炎症部位から「プロスタグランジン」が出てきて、「グルタミン酸」という神経伝達物質がたくさん出て、それが「グルタミン酸受容体」を活性化して、ここで脊髄の感受性を非常に増大させます。ここでグルタミン酸受容体が「リン酸化」されることによって痛みが続きます。
1970年代、夏の暑い時期、光化学スモッグによって人がたくさん倒れました。その原因物質の1つは排気ガスに含まれる一酸化窒素で、神経活動を興奮させます。本来なら神経の情報伝達は一方向で終わってしまうのですが、一酸化窒素は気体ですから自由に細胞膜を通って逆行することができます。したがって刺激があると脊髄と痛みの神経終末との間をぐるぐる回って、痛みが長続きすると考えられます。
(スライド23)
実際に動物で実験をすると、背骨があって脊髄がこのようにあって、痛みを作ります。痛くない側は反応が鈍いのですが、痛い側はちょっと触るだけで反応します。脊髄のここに痛みが起こっている部分が見えます。
(スライド24)
グルタミン酸受容体の拮抗薬を投与すると、痛いほうの足の痛みが一過性に和らいでいます。このことから鎮痛効果をみることができます。グルタミン酸受容体は痛い足でも、拮抗薬投与によってもその量には変化しませんが、リン酸化している受容体は痛い足側で非常に強く上がり、鎮痛薬を与えると一時的にリン酸化が減っています。
(スライド25)
この図は脊髄を示していますが、一酸化窒素の産生も上がっています。ここに鎮痛薬を入れると痛みが和らいでいることを目で確かめることができます。
(スライド26)
同じようにして消炎鎮痛薬アスピリンを入れると、痛いときに脊髄で上昇するグルタミン酸受容体のリン酸化や一酸化炭素の産生が減っています。鎮痛薬を頓服として飲むと、脊髄でのこのような反応が抑制され、一時的に痛みが和らぐと考えられます。
(スライド27)
難しい話をしてきましたが、痛み(神経因性疼痛)は平たく言えば脊髄における記憶だと考えています。神経因性の痛みがあったときには中枢性感作が起きて、グルタミン酸、プロスタグランジン、一酸化窒素というものが痛みを持続させるように働いています。これが生じると慢性疼痛になります。
人間の体をよくみますと、脊髄だけが特殊ということはありません。脳においても同じような現象が起きています。今非常に注目されているアルツハイマー病によって引き起こされる認知症という病気でも、これと非常によく似た症状が出てきます。記憶や学習について子どもの頃を思い出してください。試験前に徹夜や一夜漬けをして努力して覚えましたが、それができなくなって、本来覚えなければならないものが覚えられなくなって物忘れが起こってきます。ところがこの慢性痛は本来消えなければならない痛みが消えない状況になっています。常に刺激が加わっている状況が慢性疼痛の問題です。したがって慢性疼痛はこの刺激をなくせば治るということを理解していただけると思います。
(スライド28)
これは関節リウマチ患者さんの手の写真です。後で赤木先生からお話があるかもしれませんが、自己免疫疾患です。
(スライド29)
模式図にすると、左側は正常な健常人、右側はリウマチの状態です。正常なら刺激が全くなく痛みを感じません。ところが関節リウマチという自己免疫疾患になると、生体に備わっている防御系が作用してきます。正常なら機能する必要のない生体反応が起こることによって、ここで常に痛みが持続します。このような反応を抑制するために安全なアスピリン以外に最近では抗TNFα剤という薬が出て、治療が進んでいると聞いています。
(スライド30)
150年前から神経損傷による神経因性疼痛は治らない、それは脊髄に問題があるからだと先ほど申し上げました。ところが奈良におれれる稲田先生が人工神経を使って傷ついた神経を再生させることができ、さらに今まで治らないと思っていた痛みにも効果があることを初めて報告されました。
(スライド31)
今まで我々は、感受性が増大していて原因がなくなっても持続している慢性痛は治らない、それは脊髄において治らない状況に陥っているからだと最初からあきらめていました。実は違うということですね。手術をしたら治るということが示されました。神経因性疼痛はすべて治るということはありませんが、神経再生という新しい技術を使うことで治る患者さんがいます。
(スライド32)
そう考えますと、慢性痛は脊髄の問題ではなく、むしろ皮膚や運動器など末梢の問題であって、我々が手で触ることができるところの問題となります。手術のような傷によって生じる炎症性疼痛は傷がいえるとなくなります。関節リウマチには抗TNFα薬や安全なアスピリンが使えます。片頭痛は末梢の血管が締めつけられる痛い病気ですが、最近ではそれにもいい薬があります。可逆的な機能的変化で維持されていて、痛みは末梢の組織を適切に治療できれば治るものがかなりあるのではないかと考えられます。
(スライド33)
昔なら食べられない飢餓という問題がありましたが、今では栄養過多状態となり、肥満、高血圧、動脈硬化、糖尿病は生活習慣病あるいはメタボリックシンドロームとよばれています。それと同じように慢性痛は人間が二本足で歩くことによって生まれた運動器系の疾患であると考えられます。その原因は骨にあり関節にあり神経にあり血管にあり、慢性痛は運動器系の病気ということができます。つい最近まで平均寿命が短く比較的若くして亡くなっていましたので慢性痛はあまり重要視されてこなかったのですが、医療が進んで高齢化社会の現在、患者さんの生活の質(QOL)の面からも慢性痛を治療することが重要な課題になってきました。
3.慢性疼痛は治るか?
(スライド34)
では慢性痛は治るのでしょうか。まずどういう原因でなっているかを見極め、早期診断・治療することで急性痛から慢性痛へ移行する前に治すことが大切です。痛みが慢性化しますと情動反応、疼痛行動が加わって、心理的・社会的な面が出てきます。もう一つ、高齢になると、どうしても運動器系を含めて体全体の機能が低下してきます。こういうときには痛みをとることが治療の最終目標でしょうか。痛みを完全に取り除くのではなくて、治療の目標設定をするという考え方も必要かと思います。
(スライド35)
痛みは個人的には生活のQOLを下げますが、同時に社会的にも損失です。アメリカでは「痛みの10年 The Decade of Pain Control」と銘打って、2001年から痛みを治そうという取り組みをしています。日本においてもこのような取り組みをしないといけないと考えています。
(スライド36)
関西医科大学は昨年1月に枚方病院を開院しました。ここでは最先端の医療をやっています。
(スライド37)
もう一つの特徴として、滝井地区にはブレインメディカルセンターを平成10年に立ち上げ、精神神経科、心療内科、神経内科、脳神経外科の4科で共同運営されています。もちろんきょうお話される整形外科や麻酔科もあります。このセンターとともに特に痛みを中心に診療・研究ができないかとブレインメディカルリサーチセンターはタイアップを考えています。
(スライド38)
皆様方はここにいますが、ここに病院がありここに研究室があり、連携しようと。
4.神経系難治性疾患の治療に向けたブレインメディカルセンターの設置
(スライド39)
痛みは研究すれば治せると考えています。我々のような研究を主体とする教室と整形外科、神経内科、麻酔科(ペインクリニック科)、心療内科など臨床系の教室と連携し、さらに学外の施設として世界的にも有名な稲田病院や大阪医科大学と連携して、痛みを基礎と臨床の面から研究し治療につながることを期待しています。それが最終的には患者さんへの社会貢献になると信じてこれから頑張っていきたいと考えています。